eスポーツからオープンワールドまで—自然の支配とゲームの世界
崩壊の危機に瀕した惑星で進歩、征服、消費を競う
- 文: Whitney Mallett
- イラストレーション: Skye Oleson-Cormack

今週は「壮大なるアウトドア」に注目し、私たちと「外」の世界の相互作用をテーマにしたストーリーを連載します
現実にはありえないほど無人のベニス ビーチ。あなたは椰子の並木に挟まれてスケートボードを走らせ、キックフリップを決めて新しいゾーンをアンロックする。パパ・ローチ(Papa Roach)のロックが流れるなか、まるで蜃気楼みたいに、特大の缶スプレーが空中に浮遊する。あるいは、厄災ガノンを阻止すべく、古代の笛で歌を習いながら、ハイラルの森や野原や湖を進んでいるのかもしれない。広大なバーチャル空間で繰り広げられるSF宇宙の探検、開拓時代の西部の征服、都市の建設。「オープン ワールド」と称される仮想世界を舞台としたビデオ ゲームの核心には、十中八九、フロンティア精神がある。前人未踏のテリトリーを発見し、占領し、開発して、支配と向上を目指すという考え方だ。プレイヤーが広漠たるデジタル世界を非常に自由に動き回れることがオープン ワールド ゲームの特色だから、格闘ゲームやレース ゲーム、足場を飛び移りながら最終ボスを倒すプラットフォーム ゲームほど、勝敗は単純明快ではない。生命力や倒した敵の数が数値で示され、文明の構築や姫君の救出といったストーリーの進行が強制されるリニア構造のストーリーがあるにせよ、ないにせよ、あくまで主眼はバーチャル世界を消費すること、出来るだけ広い空間に足を踏み入れることだ。ここでの勝利は、『リーグ・オブ・レジェンド』のようなバトル アリーナ ゲーム、『カウンターストライク』のような一人称視点のシューティング ゲーム(FPS)など、eスポーツのトーナメントを沸かせているゲームほど明白ではないだろう。だがしかし、オープン ワールド ゲームのDNAにも、勝つことを進歩とみなす意識がある。
啓蒙時代以降の西欧社会は、無限の産業成長こそ進歩であると考えた。その進歩が、ここ何百年かは問題を引き起こしている。化石燃料の抽出、プラスチックごみ、化学肥料の流出、二酸化炭素の排出で、地球は滅茶苦茶だ。有限の資源で無限に成長することなどありえず、人間という種の存続自体が脅かされているというのに、個人情報をも含む、あらゆるものを収集すべき商品に変えて、私たちは進歩と生産性に固執し続ける。思考停止に陥り、新たな価値体系、余剰と欠乏に対する別の視点を想像できなくなっているのは、征服と消費が報われるという概念的枠組みの中で完結するビデオ ゲームでも同じだ。
そのことが一番わかりやすいのが、植民地ゲームである。コンピュータ テクノロジーの進歩によって、以前は考えられなかったほどバーチャル ワールドは広大になったが、新たなストーリー展開は出てくる気配がない。例えば、ネオンカラーに霞む雲と鮮やかなピンクの植物が赤外線写真を思わせる惑星サバイバル ゲーム『ノー マンズ スカイ』には、無作為に自動生成された1800京を超える惑星が存在する。プレイヤーは、機能的には際限なく、ゲーム世界を探検できる。にもかかわらず、ゲーム全体に通底するのは、コロンブスによる新世界発見後のヨーロッパ人が辿った命名の旅路に他ならない。プレイヤーは新たな惑星と種に遭遇するたび、本来それらの「発見物」に与えられていた土着の名前と覚しき意味不明の名前を、書き換えていくのである。

2011年に発売され、現在、史上第2位の売り上げを誇る『マインクラフト』は、指示を最少限に留めて、プレイヤーに幅広い移動の自由を与えるゲームの先例となった。『マインクラフト』は、無限数のレゴ ブロックで構成された立方体の世界だ。主な目的は「建築」だけ。石、土、レンガ、石英、黒曜石、奇妙なプルプァなど、建築素材はすべて簡単に積み上げられるブロックの形状をしている。暴力度は極めて低い。とりあえず地球に似たオーバーワールドでは、建築を邪魔するために追いかけてくる殺人キャラもいない。だから、何であれプレイヤーが好きなものを建築できることが、このゲームの魅力である。『エイジ オブ エンパイア』や『シムシティ』など、神の視点に立つ建築ゲームとは対照的に、没入型第一人称の視点からキメの粗い世界を築く。荒削りで単純なブロックは、なんら善悪を押しつけない、中立的な価値観を感じさせる。
ゲームは、人工の建築物がほとんど存在しない状態でスタートする。未開の地、森、海、砂漠、山が大半を占める世界であり、打ち捨てられた寺院や無人の村は滅多にない。だが、『マインクラフト』のみならず、手つかずの自然を支配して開発することを目指す「サンドボックス」ゲーム全般に共通するのは、入植と植民の価値観だ。一方で、事実上無人あるいは過疎の世界からスタートすることで、「汚点のない」歴史という幻想に浸ることができる。北米に自分たちの新世界を築こうとしたヨーロッパ人のように、先住民を大量に虐殺する必要がない。『マインクラフト』の村人の数は僅かだが、ブロックでできた人間を資源として搾取したり、人身売買によって新しい村の人口を確保したり、植民地体制下での非道な強制移住に通じるような、かなり邪悪なインタラクションを奨励してもいる。
植民地主義だけではない。関連はあるものの、それほど明白ではない要素も潜んでいる。消費だ。たとえ生産性の向上や未開地の征服が目標ではなくても、オープン ワールド ゲームはすべからく、バーチャル世界の自然を消費していくことが基本だ。例えば、もはや真の進歩など起こりえない大都会を舞台にした『グランド・セフト・オート』でさえ、凶暴な走りで街を震撼させる者にCGI世界の勝利は与えられる。そして、バーチャル世界を消費するプレイヤーを何十万もの人々がライブ ストリーミングで視聴するという、一種のメタ消費も同時進行する。

先日、ポール・ブックハイト(Paul Buccheit)の言葉をもじったミームをInstagramで見かけた。ちなみに、デジタル消費という点では、私は1日に一体いくつのミームに目を通すか、見当もつかない。とにかく、Gmailの生みの親であるブックハイトの言葉とは、地球上の全人口に食糧、住居、教育、医療を提供するに足る資源が私たちにはある、というものだった。精神分析的なエロティシズムの考察でもっともよく知られるフランスの文化人ジョルジュ・バタイユ(George Bataille)は、第二次大戦直後に経済論を執筆したが、バタイユの思想は、大多数の経済学者が注目する欠乏ではなく余剰の前提に基づいていた。『The Accursed Share』(1949年) では、エネルギー、富、資源は必然的に余剰を生じ、生産的な成長に再利用されない部分は、贅沢、戦争、カルト、競技、芸術、生殖を伴わないセックスの形態をとると述べている。つまり、合理的な秩序から外れた、聖なる次元を伴う活動である。そして、肌に傷をつけて模様を作り出したマヤ人のスカリフィケーションの儀式など、実利性を伴わない行為によるエネルギーの排出から遠ざかり、あらゆるものを通常の経済生産活動へ流用する方向へ社会が移行しつつあることに、危惧を表明した。
バタイユが嫌悪した生産性本位の世界観ではなく、別の価値観で展開するゲームもある。例えば『グランド・セフト・オート』、略して『GTA』では、混沌の無法状態で熱狂する。『フォートナイト』では、敵を倒した後に「Y」キーを押すと、今やすっかり名物になった勝利のダンスに酔いしれることができる。時代がかった『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の世界が、異色の野外イベント「バーニングマン」とブラック ユーモア風味のホラー『パージ』の中間にあることは言うまでもない。『ストリートファイター』や『鉄拳』といった対戦格闘ゲーム、『リーグ・オブ・レジェンド』や『ドータ2』などのバトル アリーナ ゲームは、ローマ帝国時代の剣闘士を連想させ、いずれもeスポーツの世界で高い人気を誇る。確かに、非生産的なエネルギーはこれらバーチャル世界の競技に排出される可能性がある。しかし同時に、ストリーミング配信であれ、トーナメントであれ、スポンサー、広告、賞金の形態であれ、収益化と商品化によって、常に生産的成長へと循環されている。経済誌では、急成長中のeスポーツやより広範なビデオ ゲームが、共に巨大市場として盛んに喧伝されている。ジャスティン・ビーバー(Justin Beiber)の敏腕マネージャーとして知られるスクーター・ブラウン(Scooter Braun)や住宅ローン融資会社「クイックン ローンズ」の共同設立者であるダン・ギルバート(Dan Gilbert)は、eスポーツという「新たなフロンティア」に早々と目をつけた投資家だ。
人間の実存的な問いに迫るゲーム デザインという、新境地も切り開かれている。例えば、11月に発売されたばかりで、今いちばん話題の『デス・ストランディング』。多数の名作を生み出してきたゲーム クリエイター、小島秀夫の最新作だ。舞台となるアメリカは、幽霊のような存在が跋扈し、老化を加速する酸性雨が降り注ぐ、終末的な世界だ。原因となった爆発がどのようなものであったかは謎だが、黒ずんだ世界を見れば、資源の抽出に依存してひたすら進歩を追求した現代生活の結末であることは、想像に難くない。消費することだけを指示して、必然の結果を無視する他のゲームとは異なる視点だ。焼け落ちた不毛の荒野を移動して荷物を配達し、分断されてあちこちに孤立した街を繋ぐ任務を背負った主人公は、競争と征服ではなく、配慮と繋がりのメカニズムにしたがう。とは言うものの、ほぼ、ユークリッド空間を移動する孤独な主人公だけを追うだけで展開するストーリーは、惑星を救うためにダナ・ハラウェイ(Donna Haraway)が提示するシナリオとは少しばかり違う。グラフィックは洗練され、そのストーリーは哲学的な深みを増したが、『デス・ストランディング』を含め、空間の消費というゲームの枠組み自体は、『パックマン』の時代からさほど変わっていないと言っていいだろう。人類と空間の関係は、世界地図「マッパ ムンディ」が製作された中世ヨーロッパとほとんど同じだ。既知以外のものを想像するのは難しい。だが、フロンティアの幻想とそれに付随する時空間の展開が、すでに全盛期を過ぎたことだけは確かである。
- 文: Whitney Mallett
- イラストレーション: Skye Oleson-Cormack
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: December 11, 2019