プリエで稼ぐ、パーカー・キット・ヒル
インフルエンサーの殻を破るバイラル アーティスト
- インタビュー: Nazuk Kochhar
- 写真: Eli Wirija

「何もかも完璧じゃなきゃ」。自身の細部に対するこだわりについて、パーカー・キット・ヒル(Parker Kit Hill)はこう話す。「僕、かなりのOCD(強迫性障害)なんだよね。本当におかしいレベルで」。Vineでバイラル動画を制作し、ダンスのようなポージングのThom Browneのモデルとして知られるヒル。真のコンテンポラリー アーティストらしく、細部まで制御された彼の動きは、巧みで、洗練されている。月曜の夜、イースト ヴィレッジにあるThursday Kitchenで、ソーシャルメディアのスターからモデル兼俳優に転身したダンサーと会い、タパスつまみながら話すことにした。だが話し始める前に、まずこの23歳のアーティストは、時間をかけて自分が普段使う持ち物を木のテーブルの上にきちんと並べた。三角形の赤いAdam SelmanのサングラスをiPhoneの横に置き、その横にシルバーのJUUL、その横には彼の道具類。ひとつひとつが、きれいに配置されている。
この感性こそ、アーティストのバイラル動画や写真にすばらしい緊張感を与えるものだ。彼の動画や写真は、ユーモアに溢れ、動きが楽しく、多くのファンを集めている。中で最も有名になった、Vine初期のスーパースター時代の動画、パーカー扮する「パークリン」のシリーズでは、揺れる黒髪をぱっつんボブに切ったウィッグをつけ、狂ったような笑顔を浮かべている。Vineを代表する、このキャラクターの動画は7300万回も再生され、その数は今なお増え続けている。また、最近のInstagramの投稿では、プラットフォームのヒールを履いてランニングマシンの上を歩いたり、ダイニング チェアに座って屈伸したり、笑顔でCATスキャンに臨んだり、コマ全体をフル活用して、なんでもない行動を病みつきになる独特のビジュアルに変えた。そして、これらは、ほんの数時間のうちに世界中でバイラルになった。彼のセルフィーや服の投稿は、加工され、歪められていることが多いのだが、それが家の鏡の変な反射を模したようなエフェクトを作り出し、計算された自然さを写真に与えている。
ヒルは、ファッション界のミューズがソーシャルメディアから引き抜かれるようになった現代の産物というよりは、むしろ、こうした時代を作り上げた張本人だ。ソーシャルメディアのおかげで、彼は独自のスタイルとキャラクターを、自分の思うままに作れるようになった。そして、このスキルによって、彼は現在、実際のキャリアのチャンスを掴もうとしている。初めてひとり暮らしを始め、制作環境を完全に自分でコントロールできるようにもなった。彼はValentino、Marc Jacobsとコラボレーションを行い、Thom Browneではハイエンドな不条理プレッピー スタイルで独自の手腕を発揮した。こうした成功に伴い、ますますセットで過ごす時間が増える中、ヒルは動くビジュアル アートを制作するための、特別な手法を探し出す必要に迫られている。そのような中で、様々な方面における自身のクリエイティブな能力をすべてひとつにまとめる方法を見つけ、ずっと天職だと考えてきたエンターテナーになろうとしている。

Parker Kit Hill 着用アイテム:コート(Marcelo Burlon County of Milan)、シャツ(Matthew Adams Dolan)、ボクサー(Matthew Adams Dolan)、ブーツ(Random Identities)、ソックス(Balenciaga) 冒頭の画像 着用アイテム:コート(Etudes)、ジーンズ(Burberry)、ポーチ(Marine Serre)
ナズク・コックハー(Nazuk Kochhar)
パーカー・キット・ヒル(Parker Kit Hill)
ナズク・コックハー:ソーシャルメディアは膨大なコンテンツのアウトプットが求められるけど、制作する上で、マンネリ状態になっていると感じたことがある?
パーカー・キット・ヒル:僕は今、「ネットのインフルエンサー」(というレッテル)のせいで行き詰まってる。僕自身はいちども肯定したことはないのに、常に人からこの言葉を押し付けられてる。その意味で、創作面での落とし穴にはまった状態だよ。だって、僕はインフルエンサーというひとつのことだけで知られる人間にはなりたくないからね。常に自分自身を新たに作り出そうとしてる。どの投稿でも違う自分でいたいんだ。毎日、自分自身を驚かす。マンネリから抜け出すためには、そこに新しいインスピレーションを求めるべきだと考えてる。色から、形、テクスチャ、建物、車、髪型、あらゆるものから。
どんな子ども時代だった?
父さんは警察官で母さんは経理をしていた。それから姉がいる。賑やかないい家族だった。僕が7歳か8歳の頃に両親が別れて、そのあと色々と変わった。僕と母さんは家を出て、テキサスのフォートワースの別の地域、アート地区に移ったんだ。母さんはかなりのオシャレ好きで、それが僕の子どもの頃に唯一受けたファッションの影響だった。
引っ越したあと、僕は公立の学校に通うことになって、好きな服を着られるようになったんだけど、あの頃がいちばん辛かった。僕は転校生で、人とは違ってたし、ゲイだったからね。「もう少し自分の好きなように生きて、楽しもう。気にするのはやめよう」と思えるようになったのは、高校になってから。初めて自分のiPhoneを持ったのもその頃で、当時、InstagramやVineが出てきたばかりだった。地元の人は誰も見ないようなプラットフォームだったから、僕はソーシャルメディアに投稿を始めた。それは僕だけの世界だった。色んな人にコンタクトを取って、繋がって、そこでコミュニティを作って。毎日コミュニティは成長した。他の人がどんな格好をしているのか見るようになって、自分がどういう格好をしたいのか、他の人から自分はどう見られたいのか、理解するようになった。
2013年頃、当時の僕のVineはクレイジーだったよ。僕はロサンゼルスに飛んで、「インターネット ツアー」をやったんだ。初出演の映画は『ヴァイラル』というホラー映画。『キャットフィッシュ ~リアルレポート ネット恋愛の落とし穴~』のクリエイターが手がけていた。彼らに声をかけられて、飛行機代も出してもらった。そこで初めて、僕はインターネット シーンとハリウッド キッズという組み合わせを考えたんだ。
どのようにダンスが人生の不可欠な要素になったのか聞かせて。ニューヨークに移ったきっかけは?
ジョフリー バレエ スクールがすごい奨学金を出してくれたんだ。(卒業後)1週間でニューヨークに引っ越した。17歳だった。たったひとり、スーツケース1個で準備完了。そのままダンスの世界に飛び込んで、それが毎日の生活になった。外出する時間もなかったし、お酒も飲まなかったし、マリファナも吸わなかった。その頃、ソーシャルメディアで僕の知名度がぐんと上がったんだ。TwitterやVineの重役と親しかったから、一緒に仕事をしようと言われて、2016年に日本に連れていってもらった。19歳のとき。ちゃんとお金をもらったのは初めてのことだった。あの頃は、「ニューヨークで暮らして、踊っていたいけど、今すぐお金を稼ぐのは無理。でも、今すぐクリエイターとしてキャリアをスタートさせないと、お金は稼げないだろうな」と思ってたね。今でも自分が本当に何をやりたいのかなんてわからないよ。ファッションもアートも建築もダンスも演劇も、本当に全部大好きなんだ。だから、どうすれば全部をうまくひとつに合わせて、ひとつのものにできるか試してるところ。難しいけど。
ソーシャルメディアをやっていて、頭に来るようなことは今までになかった?
それについては、僕にはどうにもできないよね。投稿したら、もう外に出回ってるんだから。僕について嘘を言ったり、悪口を言うのでない限り、怒りはしないし、かまわないと思ってる。ただ、一度だけ怒ったことがあった。ベトナムで。僕の投稿じゃなかったけど、要は、ある人が僕みたいにウィッグをつけて、オイルで顔を黒く塗って、僕の真似をしたんだ。「これはやっちゃダメ、容認できない」と思った。だから通報したよ。そろそろ僕が何もコントロールできない地点まで来つつあって、手に負えなくなってきてる。それでも僕は前に進み続けてるけど、僕の背後や周りでは、多くのことが起きている。難しいよ。こんなにも多くのことが携帯の中では起きているのに、僕の携帯電話はこんなに軽いなんて、と毎日のように考える。こんなにも多くの人が、僕と繋がっていて、僕の顔や僕の存在を知ってるんだから、狂ってるよね。
それには、どう対処を?
そういうものに僕のことを決めさせてはダメだ、それは断じて僕じゃない、それは相手の問題だということを忘れないようにしてる。人に自分のエネルギーを左右されるのが嫌いなんだ。セラピストの所に行く必要があるのかもしれない。だって、ここ数年泣いてないんだ。それって変だろ。ただ、僕はどうすれば物事についてじっくり考えられるか知ってるし、憂鬱から自分で抜け出す方法もわかってる。音楽を聴くか、街を歩き回ることで、それは見つかる。ヘッドホンをつけずに、あらゆるものに目を向ける。周りのあらゆるものをすばらしいと思って見るんだ。それが、落ち着いて謙虚な気持ちになるのに役立つ。僕は、すごく嫌な奴や自惚れた人間として有名になるのはごめんだ。だから友人や家族には、僕が変なことをしているときや、僕のキャラじゃないようなことをしていたら気づかせてほしい、教えてほしいと言ってある。地に足のついた活動を心がけ、明日には、完全に新しい1日が始まる、新しいものを作るんだと、常に自分に言い聞かせてる。
2017年にはテレビ番組『Broad City』に出演したけれど、演技はこれからもやっていきたい?
SF映画に出たい。ブロードウェイにも出たいし、ミュージカル劇もいいね。ずっとミュージカルをやりたいと思ってたけど、今考えると、演技って、自分らしくない自分に集中するってことだよね。人からいつも、僕が僕自身であることを求められる。僕は、自分の中のあらゆる側面をすべて見せたいな。それには時間がかかるだろうけど。
Nazuk Kochharはライターで、良質な音楽とかっこいいモノの非常に熱心なファンである
- インタビュー: Nazuk Kochhar
- 写真: Eli Wirija
- スタイリング: Shibon Kennedy
- 写真アシスタント: Chris Lloyd
- スタイリング アシスタント: Johanna Aquino
- メイクアップ: Mimi Quiquine
- ヘア: Evanie Frausto
- 翻訳: Kanako Noda