写真界の伝説、荒木経惟の最新フォトブック
Session Pressの須々田美和が、荒木の影響と東アジアの写真を西洋に紹介することについて語る
- インタビュー: Keenan McCracken
- 画像提供: Session Press/Dashwood Books
- 写真: Keenan McCracken

荒木経惟は、写真界における、ある種の生ける妖怪だ。20世紀の写真界では評価が真っ二つに別れるこの写真家は、世代を超え、大陸を超え、様々なメディアを超えて影響を与えてきた。彼の過度に性的な「私写真」をもはや神話レベルだと考える者もいれば、 過激な覗き見趣味にすぎないとする者もいる。須々田美和の仕事の中ではおそらく最も意欲的なプロジェクトであるSession Pressは、写真専門店ダシュウッド・ブックスと共同で『BLUE PERIOD / LAST SUMMER : ARAKINEMA 青ノ時代/去年ノ夏:アラキネマ』を出版した。荒木の実験的な映像作品をそのまま本の形に作り直した作品だ。
本来、この『青ノ時代』と『去年ノ夏』のふたつの作品は、スライド映写機を用いて互いに折り重なる連続したイメージを作り出し、両方合わせて鑑賞するよう企図された特徴的な映像作品である。これらの作品は、荒木自身が写真のイメージに加工を行った実験的作品の中でもとりわけ目立った例である。『青ノ時代』では、薬品を用いて写真が脱色され、『去年ノ夏』ではそこに着色がほどこされている。出版にあたり、Session Pressとダシュウッド・ブックスは、映写に使われたオリジナルのスライド142枚を元に、デザイナージェフ・ハン(Geoff Han)と色の専門家セバスチャン・ハイネコート(Sebastiaan Hanekroot)と共に、オリジナルのライブ感をできる限り忠実に再現した。
2011年にSession Pressを立ち上げるやいなや、須々田美和は、現代のフォトブック界ではとりわけ重要で先進的存在となった。彼女は他に先駆けて、アメリカで岡部桃、レン・ハン(Ren Hang)、横田大輔らの写真集を出版し、いずれの作品も瞬く間に高い評価を得た。須々田がフルタイムのフォトブック コンサルタントとして働くダシュウッド・ブックスに立ち寄ったキーナン・マクラッケンが、荒木経惟の作品集発売に向け忙しく準備を進める須々田訪ねた。そして、東洋と西洋の相違を超えること、さらに伝説の写真家のあまり知られていない作品を紹介することについて話を聞く。

キーナン・マクラッケン(Keenan McCracken)
須々田美和
キーナン・マクラッケン:荒木経惟のどのような点が、彼の写真集を出版したいと考えるきっかけになったのですか。
須々田美和:荒木という写真家は、言ってみれば日本の写真と同義です。彼の作品は、意識的であれ無意識であれ、ナン・ゴールディン(Nan Goldin)や ヴィヴィアン・サッセン(Viviane Sassen) ユルゲン・テラー(Juergen Teller)など、80年代や90年代に活躍した写真家に多大な影響を与えました。そして今度は、その彼らが、私が出版してきた写真家の多くに莫大な影響を与えました。なので、荒木の作品集を出版することは、一周して元に戻ることを意味しています。岡部桃やレン・ハン、横田大輔の写真は、荒木の作品なしには存在しなかったはずで、 荒木の作品に立ち返ることは、 現在のイメージの多くがどこに由来するのかを思い出す方法のひとつなのです。
彼はこれまで400冊を越える写真集を出版していますが、この作品集のどういう点が他の作品集と違うのでしょうか。
この作品は、3つのメディア、写真と絵画と映像が交差するものなのですが、荒木自身、これを最も重要な作品の一つだと考えています。私も同感です。この作品からは遊び心と実験的姿勢が感じられます。彼がこの作品の中で自分自身を追い込んでいるのは明白で、アーティストが、鑑賞者に対してと同じように、自分自身に対しても挑戦的になることは素晴らしいと思います。もちろん、作品自体がとにかく美しい上に、ほとんど見たことのある人がいない作品であることは言うまでもありません。
挑戦的であり、かつ偽りのない作品に魅力を感じるんです



あなたはもともと、何らかの形で慣習に逆らうような作品に惹かれるところがあるのでしょうか。たとえば、岡部桃の関心の対象はジェンダーですし、レン・ハンは現代中国のセクシュアリティに挑戦しています。横田大輔の作品は従来の形式を刷新するようなものですよね。
そうですね、主題のために彼らの作品を出版することにしたわけではないですが、おっしゃる通りだと思います。私は、ある種、衝撃を与えてくれるような挑戦的なアーティストが好きですね。ただ、彼らの作品の美しさは、何か新しいことをしようという意図的な計算にあるのではありません。彼らの写真は正直で、自分自身に忠実です。挑戦的であり、かつ偽りのない作品に魅力を感じるんです。


荒木がどれほどまでに人々を挑発してきたかはつい忘れがちですね。最近では、こういう過度にセクシュアルなイメージを当たり前のように見ますから。
コロンビア大学で美術史を学んだ友人がいて、アメリカのミニマリズムが専門の、ある著名美術批評家の授業をとっていたんです。この教授は荒木の作品を軽蔑していて、荒木の作品はアートとはいえないと考えていたそうです。彼女の考えがどこから来るものかは、よくわかります。でも、彼女は彼の作品を理解するための経験も関心も持ち合わせていないだけで、その意味では、彼女は自分の限界をわかっていないのだと思います。「美術史」というのは、少なくとも彼女が思い込んでいる類のものは、西洋美辞術にのみ適用可能な、ある種の知的メカニズムに依拠した言説の発展の歴史です。
荒木は、このように制度化された考えに基づいて厳しい批判を受けてきました。ですが、西洋社会におけるセクシュアルティとの関係とは完全に異なるものなのです。そのため、彼の作品を西洋においても伝わるものにすることが、私の仕事だと思っています。
荒木なくしてレン・ハンの写真は不可能だったかもしれないということですが、レンの作品にあなたが関心をもったのは、彼の作品には日本の写真と共通点が多いことも多少は関係しているのでしょうか。
レンの作品には、本当に衝撃を受けました。荒木の写真と同じく、彼の作品は表面的には非常にシンプルで、人々はそれを否定的に受け取ることもあります。でも、私は彼の写真には根底にどす黒いものがあることに気づきました。アジア人のひとりとして、私もこういう感性に共感するところがあり、すぐに引き込まれました。レンと同じように、私にもすごく黒い部分があって自滅的な気持ちになることがあります。自分自身でしっくりこないことも多くて、生まれながらそういうものを背負っているような気がしています。こういう話をすることで、ネガティブになりすぎなければいいんですけど。でも、私の人生では、これが事実なので仕方ないんです。きっとこれは多くの人が同じように抱える感情で、レンはそれを写真の中で表現することができるのだと思います。だからこそ、これほど人気が出たのではないでしょうか。

その手の、陰のある遊び心というのは確かに人々の心を動かすもののようですね。
間違いありません。さらに、あれだけ心に響くような作品を作りながら、そのことを彼はさほど真面目には受け取っていないという事実が、人々の琴線に触れるのです。忘れられないのが、2015年の寒い冬の間で、私たちの初めての写真集『New Love』のために、レンが屋根の上で撮影していたときのことです。彼のおおらかさに心底衝撃をうけました。レンは、撮影の直前にモデルに赤いマニキュアを塗るように言ったり、カメラの一部が壊れると、ゴミ箱に捨てられていたいらなくなった搬入用のテープを使って、その場で直したんです。日本人的には、こういうおおらかさはありえません。私たちは、実際のイベントの前に、何もかもを完璧に準備しますから。行き当たりばったりに偶然に任せることなどありえないのです。日本人は、何かを作るときの情熱を維持することを考えるより、最終的な完成品を完璧にすることに集中する傾向がありますから。
荒木の作品もかなり本能的でくだけた感じがしますよね…
ええ。それが、彼の作品や彼に親しんだ写真家の作品がこれほど爆発的な人気を得た理由でもあると思います。とはいえ、長年にわたるアーティストたちの抵抗にもかかわらず、日本はまだかなり抑圧的な場所です。それもあって、Session Pressは性質上はかなり日本的である気がします。他のアメリカの出版社と比べても、多くの限界が私にはありますから。英語は私の第一言語でもないし、私の見た目も完璧ではなく、若くもありません。でも、こういう制限や不利な状況こそが、実は、ニューヨークのフォトブック業界で働く他の人の中で、私を際立たせているのだとわかりました。
違う点があるのは、健全だと思います。
そうですね。そのために、私は意図的に日本人以外のチームメンバーと仕事をすることを選びました。多角的な視点を取り入れるうえで、彼らの意見が役立ちます。西洋の受け手が、ただそのまま見せられて、日本の写真を理解してくれるだろうと期待するのは、思い上がりだと思うので。

私の希望は、フォトブックの世界にささやかでも重要なスペースを作り上げ、そこから普段はほとんど耳にすることのないような声を届けることです

Session Press立ち上げを決める以前、かなりの期間ダシュウッドにおられたわけですが、自分自身のプロジェクトを始めたいと思ったきっかけは何ですか。
Session Pressの立ち上げを決めたのは、自分のダシュウッドでの立ち位置がかなり特異なものだと気づいたあとです。ダシュウッドでは、じかにフォトブックのコレクターと出会い、長期的に持続可能な偽りのない関係を築く、素晴らしい機会を得ました。最近の傾向でいえば、オンラインで何か企画をやるのが、売り上げを伸ばすには、確かに効果的です。でも私の経験上、物理的な存在を前にした方が、クライアントとより深い関係を築けると思います。私はダシュウッドでの仕事を通じてお客さまと直接関係を築き、日本の写真のアンバサダーのようなことをしたかったんです。フォトブックの本質は、それが実際にそこに存在する、ということです。そのため、じかのコミュニケーションが重要なんです。オンラインで見るだけでは、フォトブックの良さを完全に味わうことは決してできません。
最初からフォトブックの仕事をしようと思っていたのですか。
とても若い頃からアート関連の仕事がしたいと決めていて、長い間、自分にとって理想的な分野を探していました。私が写真とフォトブックを選んだのは、日本の写真の評価が西洋で評価が高いにもかかわらず、それを本格的に扱うような出版社がなかったからです。特に、日本人によって立ち上げられた出版社は皆無でした。私の希望は、フォトブックの世界にささやかでも重要なスペースを作り上げ、そこから普段はほとんど耳にすることのないような声を届けることです。
Keenan McCrackenはアーティスト兼ライターであり、『BOMB』、『Music & Literature』、『The Brooklyn Rail』などでエッセイおよびインタビューを執筆。ニューヨーク在住
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