Comme des Garçons

ディケンズを通して見るデジタル時代の運命と自由意志

  • 写真: Tim Gutt
  • スタイリング: Michele Rafferty

「…道路と中庭が四方八方に続いているが、体に悪い蒸気が屋根の上に垂れ込め、すぐ先は霞んで見えない。汚れた景色の輪郭はぼんやりとして、煙に閉ざされている。そのような中でも、街角の至る所に人々が集い、くつろいでいる。彼らは少しでも新鮮な空気を吸うためにやって来たと言わんばかりだ…」

—チャールズ・ディケンズ、『ボズのスケッチ』

チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)は、批評家に嘲笑され、面白みのない作家としてないがしろにされ、誤解されることの多い作家だ。もはや形容詞と化したその名前は、あまりに頻繁にあちらこちらに引っ張り出され、色々な意味を含蓄するようになったせいで、結局のところ、何を意味するのか不明確になってしまった。だが、ほんの少しその言葉の層を剥がすと、あらゆる人間の奮闘の複雑さに対する、深い理解が顔を出す。

とはいえ、ここはディケンズのロンドンではない。産業革命が終わってから200年近くが経った。今日、道路や家の屋根を覆う体に悪い蒸気は、工場制手工業の副産物ではなく、データ ハーベスティングやブレグジット、トランプ支持者のツイートが放つ悪臭だ。「少しでも新鮮な空気」というのは、今では比喩的な意味でしか存在しない。それは、テクノロジーをなんとか回避することでのみ得られるものだ。たとえば携帯を家に置いて出かけることで得られる。手ぶらで外を歩くことは、たとえそれがほんの束の間でも、革命的で夢を見させてくれる。公共空間で求められる、文明社会における制約が、一時的に機能停止する。ルールも、前提条件も、礼儀作法もない。オフラインで人々と一緒に何気ない時間を過ごすのは新時代のパンクなのだろうか。

このような傾向に合う服を作るデザイナーには、「美しい」とは何かについてのあらゆる常識を超越する彼女ほど適した人はいないだろう。ディケンズは、何重にも意味を重ね、リアリズムと運命と自由意志を重視し、誤解されるような、屈折したウィットと不謹慎さに満ちた言葉を綴った。それと同じことを、川久保玲はデザインを通して行う。「何かに抵抗している服を身につけると、自分の中で勇気が湧くのを感じる。服は人を自由にしてくれる」。川久保は2015年のインタビューでこう話す。都会的な生活の縛りに逆らう感情 — そこに必要なのは、おそらく、1足のトレーナースニーカーとスパンコールのついたブレザーなのだ。

ディケンズ時代のロンドンを21世紀に読み替え、産業革命をユーザーの主体性における革命の一歩手前の状態と入れ替えて、ティム・ガット(Tim Gutt)が、異端の時代の服としてComme Des Garçons HommeComme des Garçons Homme Deux、そしてComme des Garçons Homme Plusを撮る。

モデル着用アイテム:T シャツ(Comme des Garçons Homme Deux)

  • 写真: Tim Gutt
  • スタイリング: Michele Rafferty
  • 写真アシスタント: Ho Hai Tran
  • 写真アシスタント: Henry Hunt
  • ファッション アシスタント: Lilly Ellis
  • キャスティング: Lilly Ellis
  • メイクアップ: Paul Rodgers (MAC使用)
  • モデル: Cheznay/PRM, Malik/Wilhelmina, Sam/Troy, Samson/Tomorrow is Another Day, Nathan Rosen, Arthur Richardson
  • 制作: Michel Bewley-Bienvenu
  • 協力: Tristram @ Tristam Linsley Studio, Loz @ North 17 Studio