ストッキングと
肌の睦まじい歴史
華麗なるタイツの復活、Wolford、SKIMS、『恋する女たち』
- 文: Audrey Wollen

ストッキングほどに控えめでありながら淫靡な衣類が、ほかにあるだろうか? Gucciは、脚にストロベリーを散りばめ、鮮やかなグリーンのレースで脚を包む。お金のかかった腿を誇示したい人にはFendi。お馴染みのロゴが全面を覆い尽くす。Marc Jacobsは、片側が淡いパープル、もう一方の側がピンクで、ツートーンのタイツを復活させた。ニューヨーク ファッション ウィークでは、ロココ調の奇抜なデザインで知られるPuppets and Puppetsが、スカートもズボンも履かず、タイツだけのモデルを登場させた。植物を発酵させて抽出した染料で手染めしたタイツが、青色と褐色の渦を描く。エミリー・ドーン・ロング(Emily Dawn Long)とのコラボレーションだ。Collina Stradaは全身にカラフルなプリントを使うことで有名だが、ストッキングには大輪のデイジーを咲かせた。こういったアイテムは、ウェアとアンダーウェアのどちらに分類すればいいのだろう? コスチュームの一種なのか。ダンス用なのか。プライバシーの領域に属すのか、見せることが前提なのか。「パンティストッキング」という呼び名が暗示するように、つま先まで伸びたセクシー ランジェリーなのだろうか。果たして、脚を覆い隠しているのか、脚に視線を引き寄せているのか?
私の母の蔵書に、D・H・ロレンス(D.H. Lawrence)の『恋する女たち』がある。20代の頃に購入したらしい、その黄ばんだペーパーバックの裏表紙の内側に、透けるほど薄い色の鉛筆で「p.491 ストッキング」と書き付けてある。とてもかすかな書き込みだから、雑草が生い茂る裏庭の地面に残した足跡と一緒で、その後40年も消えずに残っていたのが不思議なくらいだ。1920年に出版された『恋する女たち』は、グドルンとアーシュラという名のふたりの姉妹とそれぞれの愛の顛末を描く。ほぼ500ページを読み進んだあたりで、結婚を控えたアーシュラが家を出る。「永遠に姿を消して、二度と戻ってこないに等しい」別れに際して、妹のクドルンは「厚みのある、朱色と鮮やかな青色と灰色の、シルクのストッキング」を姉の枕の下に忍ばせる。フェルメール(Vermeer)が描いた、血と空と雲の色だ。永遠の別れの色。グドルンの「大切なもの」、「元気のもと」を取りあげるわけにはいかないと、アーシュラは反対する。でも、他の贈り物では駄目なのだ。姉妹は、愛、結婚、誕生、死を通じて、「いちばんの喜びを与えてくれるのは、本当に美しいストッキング」だと頷きあう。
第2波のフェミニズム運動が湧き起こったとき、槍玉に上がった男性有名作家のひとりが、このD・H・ロレンスだった。シモーヌ・ド・ボーヴォワール(Simone de Beauvoir)は、『第二の性』で「D・H・ロレンスまたは男根の誇り」と題して、まる1章をロレンス批評にあてた。そして、こうしたストッキングへのこだわりの描写が、美しいものに対する主人公の女性たちの浅薄な関心と執着を示す証拠として使われていると論じた。アクセサリーで女性が最高の歓びを得るのであれば、性の解放という可能性など空疎なものになってしまう。一方、アンジェラ・カーター(Angela Carter )は、1975年に発表した雄弁なエッセー『Lorenzo, the Closet Queen』で、ロレンスの女性の衣服に対するこだわりは、女性蔑視ではなく、女性であることを過剰に強調された登場人物を通して、彼自身の欲望が表出した結果だと唱えている。つまり、作品に登場する女性たちは、これ見よがしに粉おしろいを塗りたくり、女装したロレンスなのではないか。そして、ドラァグのロレンスは、ストッキングに性的興奮を覚えるのではないか、とカーターは分析する。「ストッキング、ストッキング、ストッキング、ストッキングだらけだ。ハーミオニ・ロディスは珊瑚色のストッキングを見せびらかし、アーシュラはカナリア色で対抗する。挑戦的で、鮮明で、強烈なストッキング! ところが、ストッキングが隠し、覆い、隠蔽する、生身の肉体の反逆はまったく言及されない。ロレンスは、脚ではなく、ストッキングに欲情する」。ロレンスの女性たちは、単なる快楽の道具へ貶められているのではない。所有するモノに快楽を見出す存在として描かれているだけだ。

画像のアイテム:タイツ(Marc Jacobs) 冒頭の画像のアイテム:タイツ(Gucci)、タイツ(Marc Jacobs)、ソックス(Versace Underwear)
洗練されたフェティシズムの例に漏れず、発散されるエロティシズムは、平凡なもの、身近な実用品を嗜好品へ高めることで生じる心の騒ぎ
上半身のシルエットをコントロールできる衣類が誕生した現在、ストッキングは足裏までカバーするコルセットと見なされる場合が多い。だが、19世紀に至るまで、ヨーロッパではストッキングはとり立てて特定のジェンダーに限定されたものではなく、主として、使われている生地をもとに、階級を示すものであった。上はデリケートなシルクから下はごわごわしたウールまで、生地で富の程度が推測されたわけだ。1950年代に縫い目のないストッキングという画期的な製品を考案し、以来、愛され続けているオーストリアのストッキング ブランドWolfordは、そのような伝統を継承して、現在もカシミア シルクのタイツを提供している、価格は1足285ドル。男性のズボンが定着したのは1800年代初頭のイギリスだ。現在もまったく変わらぬ光景だが、当時、ブルジョワ階級の伊達男たちが、反抗心から作業着を真似たのを機に、男性にとってはズボンとソックスが永遠のデフォルトになった。産業化が社会に浸透すると、女性のさまざまなアンダーウェアも広く一般に普及し、富を示すものより、エチケットというジェンダーの規範を示すものになった。当然、そこにはさらに別の分類があった。どんな種類の女性か、どんなタイプのセックスを体験済みか、あるいは望んでいるか、どんな素性で、何を目指しているか。1900年代を迎える頃には、ストッキング次第で、それらの情報を読み取ることができた。
1912年、21歳だったエゴン・シーレ(Egon Schiele)は、「公然猥褻」の罪で逮捕、拘留された。法廷では、裁判官が裸体の描画を蝋燭の上にかざし、灰にした。社会的な非難を浴びたあと、シーレは7年しか生きなかったが、その間に破壊されたページのデッサンを10回以上も描き直し、同じ少女、同じ男女が絡みを違うポーズを描き続けた。シーレは多数の作品を遺したが、どのように分類しても、その中には「ストッキング」で括れる作品群が必ず含まれる。実際のところ、シーレの裸体画が全裸であることは滅多にない。ブルマーは、さながら強い嵐で花を落とした木のごとく、足首のところで丸まっている。ブラウスは頭の上に引き上げられているし、ブーツの靴紐も解かれていない。もっとも露骨な作品でさえ、タイツを履いたままだ。「青いストッキングを履いた裸婦」、「紫のストッキングを履いた裸婦」、「緑のストッキングを履いた裸婦」、「赤いストッキングを履いた裸婦」、等々。緑のストッキングに至っては、3作品がある。彼の作品は青白くて生気を感じさせない肉体で知られるが、その中で、ほとんどの場合、唯一際立っているのがストッキングであり、その鮮やかな色には生命力が感じられる。ガーターの代わりに、腿に幅広のリボンがきつく結ばれていることも多い。洗練されたフェティシズムの例に漏れず、そんなディテールから発散されるエロティシズムは、性的な空想を大仰に飛躍させたものではなく、日常的に使う平凡なもの、身近な実用品を嗜好品へ高めることで生じる心の騒ぎだ。血の気のない肢体に青い潮が押し寄せ、泡だち、屈曲した部分に満ちる。私が好きなのは、ストッキングの足の部分に女性が両手を入れている作品だ。ボンデージとは関係ない。ストッキングを膝の上に引き上げるとき、手袋をはめるみたいに両手をストッキングの内側に滑り込ませる、あの感じだ。

モデル着用アイテム:ドレス(Gucci)、ソックス(Gucci)、ブーツ(Gucci)、ピアス(Gucci)
裸体は、いまだに捉えきれないテーマ
シーレは1919年に28歳でこの世を去ったが、没後間もない1920年代には、骨格も露わに四肢を見せる風潮が復活した。ドレスの裾は上がり、膝が露出し、ストッキングに透明なレーヨンが使われるようになった。そして新たな日用品となった透明ストッキングは、「脚の後側に伸びるシームの直線」を熱く見つめるフェティシズムを生んだ。カナリア イエローやエメラルドが足下にのぞいた日々は遠く過ぎ去り、見えない第二の肌がとって代わった。それは、触れられるために、あるいは触れられることを拒絶するために存在した。光線を反射して、脚は光沢に包まれた。1939年には化学企業デュポン社が安価で履きやすいナイロンを発明したが、その頃には、アメリカ女性の大多数は毎日透明なストッキングを履くものと相場が決まっていた。すっかり女性の日常生活に定着したため、第二次大戦中、シルクの軍用パラシュートを製造するためにデュポン社がナイロンの生産を中止したときは、女性たちが脚にメイクアップをほどこし、アイライナーでシームを引いたという有名な話さえある。女性らしくあるための奮闘は循環する。ストッキングが果てしなく肌に近づけば、今度は肌がストッキングを模倣しなくてはならない。それからほぼ80年後、キム・カーダシアン・ウエスト(Kim Kardashian-West)がカニエ・ウエスト(Kanye West)のYeezyから発表した、スキン カラーの全身密着型ウェアが人気を集める。レギンスやタイツは、そのままボトムとして使われることが多い。今年の夏にはKIMONOと銘打った補正下着ブランドを立ち上げたが、轟々たる非難に会い、SKIMSと改名したことは記憶に新しいところだ。ともあれSKIMSのアンダーウェアとYeezyのアウターウェアは、ほとんど区別がつかない。どちらも全裸に似せることが目的らしく、ファブリックが生身の体に見える。結局のところ、裸体とは、いまだに捉えきれないテーマなのだ。
1960年代に入ると、マリー・クワント(Mary Quant)のミニ スカートが登場した。露出限度を探る実験かのごとく、いたる所に脚が林立した。デイヴィッド・ベイリー(David Bailey)やテレンス・ドノヴァン(Terence Donovan)といった写真家は、上からシャツの胸元を覗き込む代わりに、地面に腹ばいになって、長く伸びる腿を下から見上げた。ミニ スカートが過激な変革を意味し、新しい性の在り方があまりに急速に広まると反発が起こりうることを、クワントは知っていた。だから、極めて控えめな要素をセパレーツにとり入れることを忘れなかった。おとなしいトップス、長いリブ編みのセーター、タップダンス用のシューズ「メリージェーン」、そしてもちろん鮮やかな色合いの不透明なタイツ。しかし、もはやフェルメールの色ではない。チェリーやアプリコット、オーキッドやホテルのプールの色だ。カラフルなタイツは、生脚を覆うことでミニ スカートの衝撃を和らげると同時に、強烈な色調でミニスカートを印象的に演出した。言うなれば、満員の劇場で「別に火事は起きてないわよ」と叫んでいるのと同じ。
セックス革命と歩調を揃えて、タイツは必需品へ昇格し、見せるお洒落になった。一夫一婦制を否定して、集団セックスを主張し、(建前としては) 平等なオーガズムの権利を唱えるムーブメントのなかで、注目は脚に集まった。果たしてこれは、脚が移動を可能にする器官だからだったのか? 突如として、女性の誘惑度は、リボンがどれほどきつく結ばれているかではなく、リボンをいかに素早く解くことができるかで決まるようになった。恋愛関係の受け容れ態勢が常にオープンに保たれる現在、華麗に装飾されたストッキングが復活するのはちっとも不思議ではない。もっとも、それを楽しむのは誰なんだろう? 何はともあれ、体を締め付けなくて済む安心感を無視するわけにはいかない。今時、その時その時の大衆文化が決める「注目の体の部位」を強調したり、それらから目を逸らしたりするために、ストッキングやコルセットや補正下着を着ける女性はいないと思う。気持ちがいいから、存在感があって女性を意識させるから、秘密めいた悪戯心を感じさせるからだろう。身に着けると、私たちはダンサーになったように、今まで気づかなかった筋肉、表現しうるエレガンスを意識するからかもしれない。スポットライトを浴びて、足首が温まってくるのを感じられるからだ。不透明なタイツは、それ自体のシルエットを作り出す。丸みを帯びてはいるが肉体ははそこになく、無表情なのに全体との一体感がある。もっとも薄い膜で作られた鎧だ。アントニオーニ(Antonioni)監督作『欲望』に、今は伝説となったシーンがある。喧嘩ごっこをしているうちに、デヴィッド・ヘミングス(David Hemmings)との3Pにもつれ込むジェーン・バーキン(Jane Birkin)の、隠毛が見えたシーンだ。ポルノ映画を除けば、それまでスクリーンに隠毛が映ったことはなかった。だがそのシーンを観た10代の私の記憶に焼きついたのは、ヘミングスが躍起になってバーキンのミント グリーンのタイツを引き下ろそうとしていたことだけ。伸縮性のあるタイツが張りついたヒップを、ヘミングスの両手が掴み、バーキンの少女らしさを留めた腿は、抵抗して、必死に蹴り続けていた。
_Audrey Wollenは、ロサンゼルス出身のライターである。現在はニューヨーク在住 _
- 文: Audrey Wollen
- アートワーク: Skye Oleson-Cormack
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: October 21, 2019