ブライアン・フィリップスの脳内会議

ファッションPRエージェンシーBlack Frameの創設者で『Garage』のクリエイティブ ディレクターが求める野心的なコンテンツ

  • インタビュー: Katherine Bernard
  • 写真: Annie Powers

PRエージェンシーBlack Frameおよびそのクリエイティブ部門Frameworkの創設者で、年2回刊行される『Garage』のクリエイティブ ディレクターを昨年から務めるブライアン・フィリップス(Brian Phillips)によれば、彼の創作プロセスを理解するうえで最も参考になるのは、メラニー・グリフィス(Melanie Griffith)主演の1988年の映画『ワーキング・ガール』の一場面だそうだ。その中で、主人公のテスが、ウォール ストリートの証券会社での大手ラジオ局の買収のアイデアは自分のものであることを証明する。彼女は『フォーブス』誌をテーブルに置き、クライアントの放送分野への進出に対する関心について書かれた記事を見せる。それから、『ニューヨーク・ポスト』紙のゴシップ欄「ページシックス」の、ラジオのホストがチャリティ オークションを主催するという記事と、『ソーシャル ダイアリー』的な雑誌に掲載された、クライアントの娘がオークションを企画しているという記事を出してくる。こうして、自分はどのようにしてクライアントがラジオへ投資しようとしていると考えるに至ったかを明らかにする。そして彼女は、この複雑に絡み合うメディアの相関関係を紐解き、「そういうわけで、私たちは今ここにいるんです」と締めくくる。

フィリップスの頭の中も同じだ。彼は自分だけが感じ取れる、あるいは少なくとも彼が誰よりも先に感じ取る好奇心と高揚感の結合体が変遷していく流れに身を任せ、ブランド、アーティスト、組織、直感やコミュニティを縦横無尽に結びつけて、ファッション ショーや展示会、広告、映画、ステートメントを作り出す。そこでは、ファッションがアーティスティックに、アートがスタイリッシュに、そして本来はよそよそしい世界がユーモアに溢れた親しみを感じさせるものへと生まれ変わる。

フィリップスは、Black Frameを2004年、24歳のときに立ち上げた。そして、当時Dior Hommeのクリエティブ ディレクターだったエディ・スリマン(Hedi Slimane)が、フィリップスの初めてのクライアントだった。二人が出会ったのは、フィリップスがコロンビア大学で都市計画と建築を学んだ後、これもまた現在Black Frameのクライアントである『Visionaire』でインターンをしているときだ。その後のキャリアにおいて、フィリップスは、RodarteやOpening Ceremonyのブランドを育てることに携わり、 Kenzo Worldのためにスパイク・ジョーンズ(Spike Jonze)が監督した映像で、マーガレット・クアリー(Margaret Qualley)が花の壁をブチ破る、衝撃的な香水のCMを作った。また、Helmut Langの新しいビジュアル アイデンティティを形成し、ファンが納得するような形でブランドの伝統を復活させ、Lang本人がブランドを率いていた時代と現在を橋渡しすることに成功した。

そして現在、私たちはチェルシー地区にあるBlack Frameのオフィスにいる。このオフィスは彼の自宅から数ブロックの場所にある。私はその彼の自宅に滞在し、フィリップスの愛犬である、明るい性格で図体の大きいブル テリアの子犬ウィノナの面倒を見ていた。そんな折、フィリップスが、今日、アッパー イーストサイドの新しいアパートの鍵を受け取りに行くところだということを耳にし、私は予想外の喪失感に襲われた。これほど劇的に居住地域を変えるのは、彼が今まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであることの表れだ。彼が成長し、さらなる高みへ向かっており、上向きの変化の波が来ていることを示している。だが、彼がその新たな扉を開く前に、私は彼と腰を据えて、話がしたいと思った。それは、リリースやローンチやショーについてではなく、どのようにして関心や情熱を向ける対象を選んでいるのか、そして彼がまだ自分の頭の中で大切に温めているアイデアについてだ。

キャサリン・バーナード:『Garage』について聞かせてほしいんだけど、なぜまた編集に関わろうと思ったの? どうして、このタイミングで雑誌?

ブライアン・フィリップス:正直言えば、雑誌をやるつもりなんてなかったんだ。脳裏をよぎったことすらなかった。多分2005年くらいに、アート マガジンを始めたいと思っていた時期はあった。アイデアをまとめて、セシリア・ディーン(Cecilia Dean)に相談したりしていた。でも最終的に、その考えは反故にするしかないと気づいた。妙な話だけど、そのアイデアっていうのは、新聞みたいなアート マガジンで、アートフェアーでのみ流通させるというものだった。それは本質的には、『The Art Newspaper』紙や他の媒体がやっていたことそのものだ。でも、そういうターゲットを絞った流通モデルにしたいというのが、僕のコンセプトだった。Frameworkを始めたのは、映画やコンテンツに興味があって、どうすれば動画を使って、ブランドが説得力のあるコンテンツを作る助けができるか探求したいと思っていたからなんだ。それが進むにつれ、ブランディングやブランド アイデンティティに関連した静止画像にも注意を向けるようになった。ロゴとかも、色々含めて。僕が『Garage』をやる意味があると直感的に決めた理由は、それが年2回発行のアート マガジンで、アートとファッションとカルチャーが交差する点にフォーカスした雑誌だからだと思う。

やっていて楽しい?

楽しいね。『Garage』で僕が焦点を当てているのは、ファッションや写真、タイポグラフィの観点から、どのように様々な事象がビジュアル化されていくのかってこと。それから、チームと一緒にマガジンの全体的なディレクションを決めたりもする。メディアが窮地に追い込まれ、編集面で多くの妥協がなされているのを目にする時代に、年2回しか刊行しないことの面白さは、妥協しないコンテンツを作る余地がある点だと思う。野心的なことに時間を割けるんだ。

アイデアをいろいろと貯めてるの? どんな方法でやりたいと思うことは記録してる? ノートはある? それとも会話の中から生まれるの?

僕は考えに取りつかれると、それしか考えられなくなるから、一度アイデアが生まれると、それを書き出す必要はないんだ。そのまま蓄えられる。

いちばん気になっているアイデアは? いつか長編映画を作りたい?

長編映画は書いてみたいし、製作したいね。自分が監督をやりたいとは思わないけど。

Frameworkは製作会社に進化していくのかしら?

そう思うよ。Kenzoの映像をこれだけ作っているし、WoolrichとHelmut Langのための映像も製作してる。

着々と経験を積んでいってるわけね。

考えてみれば、僕の中には、かなりのコンテンツが蓄えられてるよ。子どものときに見たコマーシャルだってそうだ。この間、イギリス出身の友人と話していて、アメリカのコマーシャル ソングのソングブックについて分析しようとしてたときに気づいたんだけど、アメリカ人なら誰もが覚えているCMソングを、彼らは知らないんだよね。「Gimme a break, gimme a break…」みたいなの。そういうものを含めて全部、クリエイティブなアイデア一覧に入ってる。

蓄えることで、逆に、何を破壊すべきかもわかると。

僕は、インターネットが無かった子供時代を過ごした最後の世代なんだ。携帯を持ったのは15歳か16歳頃だったし、ダイアルアップ接続を使ってた。ネットに接続するのは大変だったけど、僕はそれに感謝してる。おかげで物事を当たり前とは考えないから。今の時代、どんなプロセスも一時的なものにすぎなかったり、色々と期待しがちだけど、僕はそうじゃなかった時代を知っているから、そこまで極端には考えていない。

私はネット以前の世代についてよく考えるの。私はちょうどその境界だから。まだインターネットのアルゴリズムができる前に、あなたは直感を磨いたのよね。情報操作による反応って全体のどれくらいだと思う?

僕は、そういう誘導や操作に抗ってきた人ばかりに会うけどね。パリにいるデザイナーの友人がいて、彼はおそらく10歳は僕より若いんだけど、僕たちはダークウェブについては意見が一致している。それから、多くの若者は、狂ったアルゴリズムのせいでウェブ上の情報が操作され、検閲されていることに、実は気づいているってことについても。だから、今の時代、真の情報を手に入れようと思ったら、他の手段で探さないとならない。そのためには、図書館や美術館、印刷物が不可欠なんだ。例えば、検索アルゴリズムは、僕たちの知らない誰か、つまりプログラムによって全面的に決められている。そして、それによって僕たちがどんな情報や画像を見るかも決まってしまう。でも、図書館に行って本棚を見ているときは、自分で発見する感覚に従って、情報の深淵へと降りていくことができる。

自分の脳に連想をさせると。Black Frameのアーカイブ化はもう始めた? あなたがBlack Frameを始めた直後に私はニューヨークに越してきたんだけど、Opening Ceremonyのようなブランドの登場は、私がここで最初に発見したものの一つだった。それが今となっては随分昔のように感じるわ。

僕がもっと要領よくやれたら良いんだけどね。これまでたくさんの物を保管し続けてきたけど、過去に立ち返って当時はその重要性に気付かなかったものを見つけると、焦燥感に駆られるんだ。「しまった、なんで僕はこの招待状にもっと注意を払わなかったんだ」って感じで。でも、それと同時にあまりに多くの物を持っていることにうんざりすることもある。

何かに対してセンチメンタルになるのにかかる時間を考えるとおかしいわね。

僕がInstagramが好きなのは、そういうところでもある。時間があったら、Black Frameの物を集めたアーカイブ的なInstagramのアカウントを作りたいんだけどね。何かを片付けているときに、このRodarteの古い招待状を見つけたんだ。クーパー・ヒューイット デザイン博物館で展覧会をやったときの招待状。そのことを忘れていたわけじゃないけど、あまりにたくさんのことを抱えているとさ…。それにファッションはとにかく次、次、次って感じだから。

前例がないことを提案するときは、どうやって皆を説得するの?

相手の信頼を得なきゃダメだね。それから、良いアイデアを相手に持って行った前例がないとダメだ。これだけアイデアがあるのに、僕がまだ相手との信頼関係を築けてないせいで、たまにガッカリすることがあるよ。ただ「僕の話を聞いて! こういうアイデアがあるんだ!」って言いたいよ。実は、すごく素晴らしくて、ニューヨーク ファッションウィークに何がなんでも取り入れるべきだと思うアイデアがあるんだ。それは、ふたつのファッションショーを一緒にやるということ。しかも、それぞれがお互いに対話しているようにして。Hussein ChalayanとEckhaus Latta、それかTelfarの組み合わせで、互いに対話する様子を見せてみたい。それぞれが持つビジョンの完全性はそのままに、ふたつのブランドがそれぞれ共通して根底に持つ、クリエイティブなビジョンを観客に見てもらうんだ。そういうのは今まで一度も見たことないから。僕たちは、こういったモデルに対してどうアプローチするのかを再考して、それに対してもう少しエディトリアル的な視点を持つことが必要なんだ。 そういうショーの招待状もらったら、嬉しいと思わない?

そうね。空間共有の美しいメタファーになると思う。

僕は、フセインのことをクリエイティブな人間という点でも、彼が成し遂げた偉業の点でも、すごく尊敬してるんだ。でも、彼はまだ多くの人に知られていない。フセインは数えきれないほどの美術館で展覧会を行い、ファッション史家が彼について書いてきたのに、最近のハイプな若者たちは彼のことを知らないんだよ。これってまずいことだと思う。こういうブランド間の対話の場を作って、何でもお金だけが基準になるのではなく、新しい方法でブランドが刺激的にぶつかり合うようなファッションの基盤ができたら素晴らしいだろうね。

最後の質問ね。将来、例えば映画を作ることになって、自分もアーティストの仲間入りをしたらどんな風に感じる?

それはわからないな。僕の仕事のいちばん素晴らしいところは、大勢のの異なる考えを持った人や、異なるアプローチや基準を持つ人たちと一緒に仕事ができるところだと思ってる。そして、それをこの先も続けていきたいんだ。僕はコミュニティの一部だよ。いつまでもね。それだけは、僕が働いている限り絶対に変わらない。

Katherine Bernardは『The New York Times』紙のコラム「Critical Shopper」に執筆するライター。ブランド向けの創造的なナラティブの開発も行う

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  • 撮影アシスタント: Tim Hoffman