タフネスとスタイル:MA-1ボンバージャケットの歴史
アーティストのSimon Mullanが、軍隊からサブカルチャーを経て、ファッション界の真っただ中に降り立ったMA-1ボンバージャケットを紐解く
- 文: Ben Perdue
- 画像提供: Ben Perdue

MA-1ボンバージャケットほど、ハードな男らしさを体現したファッションアイテムは他にない。また、これほど多くの人に重要な意味をもたらすアイテムも稀である。
チンピラを連想させ、恐怖を煽るジャケットであった存在からメインストリームの必須アイテムになるまで、数十年にわたって数々のサブカルチャーに愛され続けてきた。しかし、このジャケットの持つ力がいまだに残っているかどうかは、また別問題だ。 ミリタリーウェアとしての起源を持ち、その後スキンヘッズのユニフォームとしての時代を経て、ゲイカルチャー、ハイファッションにも欠かせないアイテムとなったこのジャケットは、常に新しい若者のムーブメントを刺激しながら、それと並走してきたのである。
「自分がMA-1とはじめて関わりを持ったのは、ウィーンに住む十代のスケーターとしてだった」。ベルリンからのSkypeインタビューに、そう答えてくれたのはオーストリア人アーティストのSimon Mullanだ。「ネオナチやサッカーのフーリガンたちがMA-1を身に付けていたから、それを着て彼らがスケートパークに近付いて来ると、何かトラブルが起きる予兆だったんだ」。ロンドンのPM/AMギャラリーでの彼の直近の展覧会「Die Fläche(The Surface)」では、ジャケットを剥ぎ取ると何が起こるのかに着目し、今も根強く残るMA-1ジャケットの反逆的なイメージに光を当てている。彼が作品の素材としてMA-1へ目を向けるようになったのは、たとえばベルリンのクラブ「Berghain」に集うパーティーピープルのような、反逆的なイメージがあるMA-1を、あまり暴力性を感じさせない方法で着用している人々と交流したり、彼自身もジャケットを身にまったことがきっかけだった。Joseph Beuysから多大に影響を受けているMullanは、Beuysが多用した脂肪やフェルトのような有機物の使い方から刺激を得て、ナイロンやポリエステルなどのプラスティック的質感を持つ合成繊維を収集するためボンバージャケットに関心を持つようになった。当初、ボンバージャケットは映像やパフォーマンス作品の中の小道具として使われ、主人公やギャラリースタッフのユニフォームとして着用させていた。つまり、彼は常にかなりの数のMA-1ジャケットをストックしており、そこから壁に掛けるアートとしてMA-1を捉え始めていたということだ。


「Alpha」と題されたシリーズでMullanは、ジャケットそのものを脱構築させることで、ハードモッズから極左主義者に至る、歴史的にMA-1をユニフォームとしてきたサブカルチャーのタフなイメージを脱構築している。いくつものボンバージャケットから、部分ごとに素材を取り出し、キルト状に繋ぎあわせ、ジャケットが持つマスキュリンな象徴的意味の有効性に疑問を投げかける。さらに、大きなパッチワークとして縫い合わされた、それぞれのジャケットが持つ歴史から見えてくる新たなストーリーを我々に語りかけてくるのだ。それぞれの作品は単色のMA-1で構成されており、それによって様々なグループがこれまでMA-1をどのようにシニフィエとして用いてきたかを強調する。「ウィーンでは、その区別はいたってシンプルなんだ」。35歳のMullanは言う。「トルコ人のギャングは赤、ネオナチは緑、反ファシスト主義者たちは黒、ゲイはシルバーを着ていたから。この話はよくするんだ。それで、去年ベトナムの軍人たちが着ていたオリジナルのMA-1をロサンゼルスから仕入れて作品に使ったときは素晴らしかったよ。同じ色のジャケットを使った作品であるにも関わらず、全くと言って良いほど異なった物語を語りかけてきたんだ」。
一方で、「Naked Bomber Jacket」と題された作品では、表面の布地が剥がされたジャケットのボディを作品の中心要素として使用している。Mullanは、この色がなくなったジャケットを自分の活動のユニフォームにすることで、MA-1がいかにサブカルチャーにインパクトを与えたか、という問いへの新たな考察を展開する。「その中の1着を着て出かけた夜に、かなりたくさんの反響をもらったことがきっかけで、それを使って作品を作ることを決めたんだ」とMullanは言う。「色んな人にその服を貸し出して、あたかも新しい形のサブカルチャーの一部のように着てもらう。でも誰もそれを所有することはできない。いずれは返さなくちゃいけないというルールを決めたんだ。そうすることで、アートマーケットとの良い対比になるかなと思って」。光沢のあるアウターシェルを取り払われ、ふわふわした中綿が露出したそのジャケットは、柔らかく風合いのある姿を見せる。そして、このジャケットが元来持ってる粗暴な印象を覆すことにもなる。「それはとても重要で、オーストリアには『bomberheidl (bomber-skin)』という表現があって、MA-1がいかに外界から自分を保護してくれるか、ってことを意味しているぐらいなんだよ」。


1950年代に、軍需アパレル会社のDobbs Industries社がアメリカ空軍、陸軍の戦闘機パイロット用に開発したジャケットであるMA-1は、今すぐにでも戦闘に対応できる機能性がその特徴である。デザインはシンプルで洗練されており、酸素マスクやヘッドセットといったコックピット内にある重要な装備に引っ掛けてしまわないよう設計されている。ナイロン素材のシェルやホロフィルを用いた中綿は軽量ながら、氷点下でも快適に過ごすことができる保温性を誇る。象徴的なオレンジ色のライニングは、撃墜されたパイロットが裏返して着ることで、救助隊へのレスキューサインとなるようにデザインされている。さらに、もともとはセージグリーンだけの1色展開だったが、他の部隊が採用したほか、一般人にも着られるようになってきたことを受けて、Dobbs社の兄弟企業、のちのAlpha Industries社がブラック、ミッドナイトブルー、マルーンという今日慣れ親しまれている3色のラインナップを加えたのだ。

MA-1のデザインのシンプルさが、このジャケットの実用的な魅力の基礎であり、なぜこうもコピーアイテムが広く普及したかの理由でもある。素材のクオリティーは別とすれば、eBayに出品されてる20ドルのボンバージャケットは、ひと目見ただけではAlpha社のそれとほとんど違いはない。とは言え、あらゆる定番のヴィンテージメンズウェアがそうであるように、このジャケットにもまたホンモノかニセモノかをめぐる物差しが存在している。その市場のトップに君臨するのが、日本製のThe Real McCoy’s製のレプリカとBuzz Rickson’sの限定モデルなどの商品である。品質にこだわり抜いたオリジナルMA-1のコピーは、ウィリアム・ギブソンの小説「パターン・レコグニション」に登場するキャラクター、Cayce Pollardが着用したことで不朽の名作の地位を手に入れた。彼女が着こなすRickson'sのMA-1は、ファッションに抗う無地の服として表わされている。それは、匿名性の高いベーシックであるという文脈からMA-1を見れば、選びやすくいかなるスタイルへも合わせやすいというMA-1の特徴を反映している。「間違いなくUK スタイルの重要アイテムだね」。そう説明するのは雑誌「I-D」の「Street Sound and Style」シリーズ発起人である写真家のEwen Spencerだ。「MA-1はあらゆる受け止められ方をしてきた。その度に大衆から大きな支持を得てきたんだ。誰が着てもサマになるからね」。
MA-1は、労働者階級の日常着であった。レプリカは安価な割に機能的なためだ。ジャケットへの愛情は、父親から息子へと受け継がれた。それとともに、新品のボンバージャケットの膨らんだ形を押しつぶすには、ベッドのマットレスの下に1週間放置すると良い、などといった実用的なアドバイスもまた世代を超えて踏襲されている。「MA-1はかなりノスタルジックなものだと思っているよ。文化のいかなる変化にも取り残されずに愛されてきたものだからね」。GQ StyleのファッションディレクターのElgar Johnsonはそう語る。「このジャケットの魅力は、誰もが着こなせるという事実に裏付けられている。MA-1はスキンヘッズ、ゲイカルチャー、ヒップホップ、アシッドハウスなど、様々な文化の重要な一部分として存在してきた。MA-1は何にでもフィットするんだ」

MA-1が、難解なサブカルチャーから、よりメインストリームのファッションアイテムへと変貌を遂げたのは80年代半ばのことだった。当時スキンヘッズのユニフォームだったMA-1をゲイコミュニティーが着始めたことをきっかけに、より広く大衆に受け入れられるようになった。Bronski Beatが「Smalltown Boy」をリリースした1984年、MA-1 にLevi’sの501とボタンダウンシャツというJimmy Somervilleのスタイルが、まさにそれを体現していた。さらにそれは、極右主義者たちに着用されたことで、歴史を通してジャケットに付きまとっていた同性愛に対する嫌悪感をも取り払うものだった。
ロンドンを拠点とする集団、BuffaloのスタイリストであったRay Petriが提案したスタイルも、この流れを受け継いだ。ストリートからヒントを得た彼のスタイルは、ハイファッションが持つ典型的な理想の男性像に対する考えを押し進めながらも、MA-1にぴったりとはまる豊富な知識を用いて超マッチョなトップガン的イメージをわずかに覆したのだ。「モデルのSimon de Montfordがロンドンの雑誌『The Face』でボンバージャケットを着ているのを見たとき、世界で一番クールだと思ったよ」と話してくれるのはJohnson。「そのあと、デイビッド・ベッカムが緑のMA-1を着ていて自分も欲しくなったんだ。だけど、緑は似合わなくて結局黒を買った。国宝級のハンサムになるためにね」


2000年の春夏コレクションでRaf Simonsがリリースした、オーバーサイズでガバテクノ(90年代にロッテルダムに生まれたハードテクノのジャンルで、ジャージやスニーカーがオーディエ)ンスの特徴的なスタイル)に影響されたボンバージャケット。そこに縫い付けられたポストパンクなパッチから、Helmut Langが2003年の秋冬に発表した、パンクカルチャーに着想を得たボンデージストラップまで、ランウェイで象徴的なスタイルとなったこれらの新たなMA-1の形は、どれも過激なティーンの反抗心に根差している。Rick Owensの意外性に富んだシルエット、Riccardo Tisci が指揮するGivenchyのホモパンクな雰囲気の無骨な1着。これらがなければ、YEEZYは今ごろどうなっていたのか? MA-1は毎年ランウェイを賑わすアイテムになった。シルエットに工夫を凝らし、よりリュクスな素材を用いて、数え切れないほどのプロダクトが繰り返し作られている。VetementsのDemma Gvasaliaのような才能あるデザイナーが、XXXLサイズのMA-1をレディースラインとして発表したのもその1つだ。マスキュリンなスタンスにもかかわらず、このジャケットが中性的な魅力を放つのは、MA-1の特徴であるシンプルさによるものだと言っていい。
MA-1の機能的なデザインとマスキュリンな歴史は、若い男女がこのアイテムをまた別の目的のために作り変える方法を見つけ続ける限り、これからも若者のムーブメントを刺激し続けるだろう。ただし、それはストリートで起こることであり、ランウェイやアートの文脈での流行はあくまでMA-1を取り巻くより大きな物語の中のサイドストーリーに過ぎない。Mullanの作品は、MA-1の硬さについての作品であると同時に、帰属に対するステートメントとしてのMA-1 についての考察であるとも言える。ボンバージャケットがユニフォームとしてより広く商業的成功をおさめたことが、彼の作品をいっそう魅力的なものにしている。MA-1ジャケットは、購入することはできるが、決して所有することのできないものなのだ。

- 文: Ben Perdue
- 画像提供: Ben Perdue